独眼流正宗

独眼レフ、ミラーレス独眼を操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

この秋バラで見納め⁉︎長期工事に入る生田緑地のバラ園を堪能するお話。

川崎市にある生田緑地(旧向ヶ丘遊園遊園跡)のバラ園はこの秋を最後に、暫く長期工事に入り閉鎖になります。無料のバラ園として毎年、春秋に多勢の人で賑わう名所ですが最低5年と言われる閉鎖は残念でなりません。

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最寄駅がどこから向かっても微妙な距離なのですが、今年の秋は生物生態写真取材車の新調で訪れやすくなり、仕事のあとに少し遠回りして二度ほど寄ってみました。

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f:id:muramasachang:20251031100105j:imageNikonZ8+NIKKOR Z MC 105mm f/2.8 VR S

一回目はMC 105mm f/2.8のマクロ縛り。


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f:id:muramasachang:20251031100112j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 100-400mm f/4.5-5.6 VR S

再訪時は100-400mm f/4.5-5.6一本で撮ってみました。

 

やはり花の撮影は難しい。精進あるのみですね。

 

 

 

片道300km ! 新潟まで走り街を堪能してきた話。

新たな生物生態写真取材車の高速道路テストを兼ねて、関越道、上信越道を経て上越市に行って来ました。

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フォグランプと純正のグリップヒーターを新たに装備しました。往路は長野に入ってから雨。都内は汗ばむ陽気でしたが予報が雨だったので防水のバイクウェアで行ったのが幸いでした。

ここで大活躍したのがグリップヒーター妙義山周辺は標高も高いので、雨が降る前から肌寒い感じでしたが、バイク屋さんが大急ぎで装着してくれたお陰で、雨でも手の冷えが抑えられて結構快適に走れました。

向かったのは上越市。連日雨予報だったのですが、降ったのは結局この移動日だけ。翌日は行きたかった場所、行ってみたかった場所に出向くことができました。

 

 

先ずは再訪したかった本山浄興寺。 歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺というのが正式な寺院名で、浄興寺は親鸞が生きていた頃、陸奥国にあった時からの通り名のようです。

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親鸞上人ゆかりのお寺で、戦国時代に何度か他の地で戦火に見舞われ、上杉謙信が自らのお膝元である上越に招致、庇護したそうで、東西の本願寺も含め、親鸞のお骨は全てこちらから分骨されたものなのだそう。(長野にあった際は川中島の合戦で戦火に見舞われたそう)

かつては真宗大谷派の別格本山の格だったそうですが、近年になり宗教法人内の派閥権争いにおける横槍がやはり色々とあるそうで、現在は浄興寺派という小さなグループだそうです。

 

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拝観料もない非常にオーブンな寺院で、筆者が最初に訪れた際は、御住職自ら本堂前の掃き掃除をされてました。その際は親鸞の廟が補修の最中で拝観できなかったので改めて伺ってみました。

 

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明治6年に6年の歳月をかけられて建立された親鸞上人本廟。やっと拝む事ができました。

 

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f:id:muramasachang:20251025204828j:image NikonZ8+NIKKOR Z 24-70mm f/4S

本堂(重要文化財)も前回の礼拝時は柿葺き(屋根)の補修作業でしっかりと拝観できなかったので、数年ぶりの再訪は有意義な時間となりました。

 

 

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上越市、特に旧高田市の旧市街は細く曲がりくねった道が多く、鈍色の街並みが素晴らしい。殆どが代替わりなどめお店を閉めてしまってますが、この風情ある街並みを残して欲しいと願って止みません。

 

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生憎の曇天のでしたが、時折日差しが地表を照らし、えもいわれぬ情景を創り出していました。これは建物だらけの都市部では味わえない贈り物です。

 

 

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f:id:muramasachang:20251031033827j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 14-30mm F/4S

走っているとパチンコ屋の廃墟(借主募集してる建物も)が多くありました。

そして向かった先は、以前自転車で巡った際ヒルクライムするには道の舗装が悪過ぎて断念した正善寺ダム。

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f:id:muramasachang:20251031033129j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 14-30mm F/4S

人気のないダムで次第に暮れていく空を眺めながらののんびりとした時間。SUVスクーターにしたお陰で、訪れた先の行動範囲も格段に拡がりました。

 

最も驚いたのは300kmの距離を走行した後なのに、ライディングポジションが普通に座ってる状態と変わらないので身体の疲労が殆ど無かった事。

確かに160ccのスクーターなので、せいぜいスピードをだしても110km/h。高速では走行車線を走っていて遅すぎる車だけ抜く程度の速度しか出ませんが、元からスピードが出ないと考えると景色を少し楽しみながらのんびりとした心待ちで走れます。

ですが、兎に角疲れない。これは本当に驚きました。東京近郊の移動手段と考えていましたが、考えを改める必要がありそうです。これは良い意味で誤算でした。

割引がある内にETC取り付けておけば良かったな。苦笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生物生態写真取材車の高速適用を試しに、那須塩原まで行って温泉に浸かったお話。

ADV160は名前の通り160ccのバイクです。法規上は高速道路に乗れますが、条件が良くて110km/hが最高速のバイクで、正直なところ積極的に高速道路で移動したいとは思いませんでした。

しかし、それでは行動半径が狭まってしまうので、慣らし運転も終わったこのタイミングで高速道路での走行性能のチェックをしてみることにしました。

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向かった先は那須塩原温泉の塩の湯温泉。川岸露天風呂で有名な明賀屋本館さん。当初は走り慣れた関越自動車道上越方面に向かう予定でしたが、たまたま予約が取れたので東北道に変更。

この日の上越市を含む新潟県内は、豪雨による冠水などで多くの電車が運転見合わせるような状態になり、予定変更は大正解。あまり被害が大きくなかったようで幸いでしたが、旅先で身動きが取れなくなるという事態が避けられラッキーでした。

 

大泉インターから外環自動車道に乗り東北道へ。法定速度80km/hの外環は兎も角、120km/h区間のある東北道はどうか?と思いましたが、そこそこ良いペースで走ってる大型トラックにコバンザメして走れます。

正直、高速道路はもっとストレスが溜まって精神的にも肉体的にも疲れると思っていたのですが、快適過ぎて笑ってしまいました。

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あまりに早く着いてしまうのでサービスエリアに寄りまくり、宇都宮ICで一度高速を下りて宇都宮動物園へ。

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ここはキリンや象に、おやつがあげられるマニアには人気の高い動物園です。

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f:id:muramasachang:20250907162517j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 24-70mm f/4S

8/3に生まれたキリンの赤ちゃんも早々とお披露目されていました。

 

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まだまだチェックインの時間まで余裕があるので、宿の手前にある「道の駅 湯の香しおばら」で昼食に蕎麦を頂きました。

 

本日のお宿は、延宝2年(1674年)創業の明賀屋本館さん。350年にわたって湯を守り続ける老舗の宿で、塩分と鉄分が豊富な源泉かけながしの黄褐色のお湯は、身体の芯までじんわりと温めてくれます。

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f:id:muramasachang:20250908180937j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 24-70mm f/4S

名物である「川岸露天風呂」は、ご覧の景観。宿に着いた直後から、雷を伴う豪雨が数時間降り続き、朝まで雨模様だったにも関わらず、朝食後に人払いできたタイミングで撮った写真の川は、泥水で濁る事なく水量がましているだけ。改めて、素晴らしいところに来たなという思いが込み上げてきた瞬間でした。

帰路は台風予報もあり、サービスエリア以外の寄り道はせずに真っ直ぐ帰宅。

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羽生サービスエリアではテレビ時代劇の鬼平犯科帳とコラボした、鬼平江戸処が。

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筆者はフジテレビで放送していた 二代目 中村吉右衛門版の大ファンなので、お店の名前に思わずニヤリ。

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やはり五鉄で軍鶏鍋を頂くのが鬼平ファンの心意気。吉右衛門さんだけでなく、 五鉄の亭主・三次郎役の藤巻潤さん、おまさ役の梶芽衣子さん、 相模の彦十役の江戸家猫八さん、小房の粂八役の蟹江敬三さん、大滝の五郎蔵役の綿引勝彦さんといった演者さん達のやり取りが脳裏に浮かびます。

家に到着目前から雨がパラつき始めましたが、ギリギリセーフで帰宅。2日間でのべ453kmを走りましたが、身体の疲労は皆無。写真は少なめでしたが、高速道路が使える事がはっきりわかり、収穫の多い旅となりました。

 

 

 

 

 

霞ヶ浦周辺はネット記事とは逆に見どころ満載のツーリングと写活天国!(酒蔵、古民家、古墳編)其の弍

翌日は、宿から最寄りの、かすみがうら市二子塚古墳へ。ここが地図のマーキングが500m以上離れた民家にピンがあり、かなり悩みました。

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f:id:muramasachang:20250828173829j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 24-70mm f/4S

階段が設置されて、祠へお詣りが出来るようにされていました。調べてもネット上に確実な情報がない古墳ですが、しっかりと保守、管理はされていました。

 

次に向かったのは小美玉市によって移築保存されている旧小松家住宅。 上玉里村戸長や旧玉里村村長も務めた小松家は庄屋だったそうで、建築年代は不明ながら、1700年代後半のこの辺りの建築様式が残っているそうです。

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f:id:muramasachang:20250830181838j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 24-70mm f/4S

真夏でも、しっかりと囲炉裏に火を入れて燻蒸されていました。
外見は曲屋ですが、馬屋が突き出た形でもう一つ曲がりを構成する「二つ曲がり」という珍しい形です。をとっています。間取りも、あまり他では見られない形で、座敷、中の間、帳場、産部屋などがあり重要な遺構な可能性が高いそうです。

平成7年に玉里村に寄贈され、その翌年に玉里史料館民家園(現小美玉市民家園)に移築された際、可能な限り建築当初の形に復原したそうです。

 

そのまま霞ヶ浦沿を走っていると、行方市で明らかに古墳である事がわかる墳丘が…。
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f:id:muramasachang:20250830181848j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 14-30mm F/4S

浅学なもので、ここが近年に国の重文になった三昧塚古墳とは知りませんでした。

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「骨も装飾品も出てるぢゃーーーん!」と墳丘に登ってから一人ハイテンションになりました。流石は国の重要文化財、綺麗に修復、整備されていました。興味のある方は、浅学の筆者説明よりWikipediaの方が圧倒的なので、そちらをどうぞ!

 

道の駅たまつくりでトイレ休憩をし、高須崎の一本松を目指しますが、どこにも松の巨木が無い。笑

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鎌倉の鶴岡八幡宮イチョウと並び、関東二大名木と呼ばれたシロモノだった高須崎の一本松。実は樹齢900余年の巨木だったそうですが、50年ほど前に虫害で倒れてしまったらしいです。(なら地図にも「跡」とか書いて欲しいですね)その後、何度か植えるも虫害にやられ、現在は4代目なのだそうです。

 

霞ヶ浦大橋を渡り、国道354号を左折して県道118号へ。この道が以前、自転車で通った時から大好きなのです。古からの人の営みを感じるというか、長閑とは違う集落の感じの雰囲気が良い。もしこの辺りを走る事があるなら、是非とも国道から外れて湖畔沿いの集落の道を通って欲しいと思います。

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牛渡地区にあるのが牛塚古墳です。出土した埴輪から5世紀ごろの古墳のようですが、詳細は全く不明です。

 

その後はのんびりと下道を都内方面に。早朝出発で一泊二日のバイク写活でしたが、かなり充実した時間を過ごせました。

やはり郊外をライドするのは信号や渋滞が少なく、モーターバイクの楽しみ方を存分に味わう事ができました。

慣らしも終えたので、次は高速道路も使って、少し長距離を走ってみたいと思います。

 

 

 

 

霞ヶ浦周辺はネット記事とは逆に見どころ満載のツーリングと写活天国!(酒蔵、古民家、古墳編)其の壱

控えめ過ぎるくらい控えめに書かれたネット記事とは違い、霞ヶ浦周辺の地図上には、古民家や古墳の情報が多くピンを打たれています。

Yahoo地図は古墳の場所が民家だったり…間違えてピンを打たれてたりするので注意が必要ですが。実際、今回巡った古墳の2箇所が間違えていて、一件は民家に設定されていました。

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県指定文化財富岡家住宅は、近年まで所有家が住まわれていたとか。元禄後期というと築300年以上。赤穂事件の頃から建っている庄屋建築という事になります。住まわれている形跡はなかったのですが、通りからの撮影のみで立ち寄りは遠慮させていただきました。

このような文化財クラスの現存度が無くても、昔からあったと思われる曲がりくねった旧道沿いには、立派な門構えの、かつて豪農だったと思われる家がリフォーム、リノベーションはれて達並び、農家型の長屋門まで残っている家屋もありました。

肥沃な土地と蓮根で財を成した家が多かったと聞きますが、次なる目的地である舟塚山古墳に向かう石岡市三村あたりを走っている時には驚くくらいその手の建物が立ち並んでいました。

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舟塚山古墳は5世紀頃の前方後円墳。 樹木に覆われてますが、墳丘長は約186メートルで、茨城県最大規模。関東地方でも第2位の巨大古墳です。周りの未舗装の道でも躊躇なく走れるのはSUVスクーターの真骨頂といえます。雑草がすごかったので、次は冬場に来てみたいと思いました。

 

石岡のもう一つの目的は、酒蔵の府中誉さんで短稈渡船という酒米を使った大吟醸を購入すること。短稈渡船は酒米の「山田錦」の父株にあたる幻の酒米です。

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この幻の酒米は、現社長である山内氏が、平成元年に実家の府中誉に戻り「誰も作っていない品種の酒米を県内で育てて美味しい酒を造りたい」と考えて探し出した、正に奇跡の品種。

県内で農業を営む、当時高齢だった男性から「父と祖父が短稈渡船という酒米を作っていた」という話を聞きつけ、全国の研究機関を探し回り、つくば市農業生物資源研究所(現農業・食品産業技術総合研究機構)にたまたま保管されていた種籾を14g入手。そこから契約農家さんと試行錯誤を重ねて数年がかりで復活させた酒米です。

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豪華な化粧箱には、短稈渡船の契約農家さんのフルネームが記載されています。

全国には他にも短稈渡船を使っているという酒がありますが、その殆どが渡船2号という品種で山田錦の父株である短稈渡船は府中誉だけという事です。

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この日は、朝から土浦から石岡と巡り、予約していた民宿へチェックインしました。人懐こい猫さんに癒されて、のんびりと過ごしました。

 

 

 

霞ヶ浦周辺はネット記事とは逆に見どころ満載のツーリングと写活天国!(土浦編)

土浦や霞ヶ浦をネットで観光検索しても、出てくるのは、帆曳舟を遊覧船から眺める(日時指定有り)、花火大会や夏祭りなどの日程、蕎麦打ち体験などしか出てきません。

土浦市観光協会 | オフィシャルサイト

バイクで走っていると、観光資源になりそうなモノが沢山目につくのに、あまり大々的に宣伝されていないのが不思議です。

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土浦城の城下だった地域に残る建築物は、まちかど蔵と命名され観光目的で纏められてますが、一箇所に数軒残っているだけなので観光資源として、拍子抜けされないよう遠慮してるのか、宣伝も控えめ。

特に、 土浦まちかど蔵 大徳さんは江戸時代後期の呉服店を改装した蔵で、観光案内所、土産物販売、レンタサイクルなども扱っていて中も見学できるようになってます。

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古民家好きなら、ここだけでも立ち寄って良かったな…と思える感じなのに、なにを遠慮しているのかな?と思うくらい素敵です。

その向かいは、土浦まちかど蔵 野村さん。元は旧野村さとう店。ここと同じ旧水戸街道にある石岡の(有)福島屋砂糖店も含め、昔は砂糖が財を成したのがわかります。

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奥の蔵はカフェをやっているようで(朝早すぎて時間外)煉瓦作りの綺麗な蔵がリユースされていました。

この二つの建物、国の登録有形文化財に登録されています。もっと誇るべきでは?と思ってしまいました。

 

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野村さんの横の路地は芳ばしい景色でした。路地奥にあるお社…大好物だったりします。

 

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矢口酒店さんは建物の裏手の別棟で酒屋として今も営業中。行ったタイミングでは、建物の公開はしてないようでした。

 

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商店街の入り口にあたる保立食堂さんは天ぷらのテイクアウトもしている天ぷら屋さん。昔は橋の袂だったようで、ここが橋で川(堀?)であった事が判る道標が残されていました。

 

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今は使われなくなった廃店舗も数多く散見します。そっち系のマニアの方には生唾モノの街かもしれませんね。

短時間の滞在でしたが、なかなか見所が多く感じました。非絶景の写真スポットが探せば大量にあるのではないか?と思わせる街でした。

 

旅路は、かすみがうら市、そして石岡市小美玉市行方市と続きます。

 

 

石岡の看板建築に癒される夏の旅。

夏の旅として、かねてからじっくり見たいと思っていた茨城県石岡市に出向いてみました。昭和初期の大火の影響で、当時流行していた耐火性に優れた看板建築が多く建てられ、かなりの建物が現存しています。

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最近、筆者の生活圏において、長年放置されていた古びたアパートや、芳ばしい街並みが、あっという間に取り壊され、無機質な高層マンションに変わってしまうという事が異常に増えました。低層の建物が多く建っていて、広々としていた空が覆われ、圧迫感のあるビルに変わってしまうのは気分が滅入ります。

我が家の近所だけで、数ヶ所の建物が写真に残して直ぐ、取り壊されビルに変わってしまいました。

 

都内は土地が高過ぎるので、相続税などが払えないと皆から愛されている建物でも売られて、即座に壊されてしまいます。

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10年前の撮影ですが、秋葉原にあった看板建築と銅板建築4棟が連なった人気スポットも、海老原商店以外は取り壊され、ただの駐車場にされてしまったのは、古い建物好きの方々には、記憶に新しい出来事です。

 

石岡は、奈良時代常陸国国府が置かれた街で、長らく常陸府中(ひたちふちゅう)と呼ばれていました。南北朝時代大掾氏により府中城が築かれ、水戸街道など交通の要衝であった事から早くから商業の街として発展したようです。大掾氏は  1590年の秀吉の小田原征伐において北条方につき、佐竹義宣により府中城が陥落、滅亡しています。

 

石岡市で起きた昭和初期の大火は、筑波山から吹き颪す折りからの強風にに煽られ、街の中心部は殆どが焼け野原になったそうです。街の再興の際に、関東大震災後に東京で「延焼を食い止める」と流行していた看板建築が好んで選ばれたのだとか。

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f:id:muramasachang:20250819062307j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 14-30mm F/4S

風情のある建物が至る所に残っています。

しかし残念なのは、後継者が居なく閉ざされてしまっている建物が多い事。リユースされていた店舗も休業状態…そのくらい街の過疎化が進んでいる感じです。

f:id:muramasachang:20250820231400j:imageNikonZ8+NIKKOR Z 14-30mm F/4S

丁子屋さんは江戸時代末期に建てられた染物屋で、大火で焼失を免れた商家建築では唯一の建物です。現在は『まち蔵 藍』という名前で、観光案内、休憩所、雑貨販売、藍染め体験等が出来る施設になってます。

 

良い建物が残っているので、それを活かして欲しいと切に願います。個別に貸したのでは、結局は外からの人は来ません。

布を買うなら日暮里…みたいな感じで、数店舗揃う事で外からの人が来やすい街にする事が大切なように思います。電線も地中化されていてとても綺麗で素敵な街なのです。

文化財になるとなかなか難しい所もあると思いますが、街の活性化のために是非、アイディアを出し尽くして活気のある街を取り戻して欲しいと思います。