独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

Nikon Df を導入した話②

私が独眼(一眼レフ)に拘る理由は、写真は「光を捉える作業」だからです。

 

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NikonD7000 × Tamron(B016N)16-300mm F3.5-6.3 Dill VC PZM MACRO

 

フィルム時代は、光を捉えてフィルムに落とし込む。それが現在はフィルムがセンサーになり、デジタル処理される機械に変わっただけで、本質は同じです。

 

自動車は半世紀前はキャブレター仕様でほぼ全てが機械制御。CPUなど使われておらずプラグのスパークやライトなどの為にしかバッテリーは使われていませんでしたが、今は燃料の噴射は電子インジェクションで、挙動の全てがコンピューター制御が当たり前。

カメラも半世紀前はフィルムは手巻き、ピントも手動、全てが機械式で電池の装填すら必要ありませんでしたが、今は記録もデジタル、一部の仕様を除けばほぼ電子制御です。

 

 

実はデジタルカメラのルーツは、この機械式カメラではなく家庭用ビデオカメラがルーツです。

 

当時のボヤけた液晶ファインダー、解像度の低いバリアングル液晶を見ながらの撮影、手振れ補正、動画機能、内蔵ズーム…そうです。これらは家庭用ビデオカメラの機能を静止画側に振ってカメラの形に変えただけだったのです。

 

電子ファインダーや背面液晶画面を見ながら、機械が殆ど全て制御して良い感じに写真を撮ってくれるのが出始めの頃のデジカメ(現在のコンデジのカテゴリー)でした。

 

 

フィルム時代の一眼レフと同じように、レンズから入ってきた光を、鏡とプリズムを使ってファインダーに送り込む。その実像を観ながら撮影可能なカメラが、民生用としてアマチュアの手が届く価格帯で売られるまで、デジタルカメラの登場から10年近くかかったのです。

今でこそ液晶画面はそこそこくっきりと鮮やかになりましたが、デジカメ過渡期の液晶はあまり細密ではなく、その液晶を頼りに撮影する事は「構図を決めて、なんとなくシャッターを押したらカメラが良い感じで写真を撮らせてくれた」感じが否めず、写真趣味の方はデジカメなど眼中にないという方が多数派でした。

 

狙って撮った写真ではなく、なんとなくシャッターを押したら良い画像が撮れていた…これでは写真を趣味にしている人には全く響かないのです。

 

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NikonD7000×YONGNUO YN50mm F1.8N

 

そんな風に写真を捉えている私が Nikon Df を選んだのには、いつくかの明確な理由があります。

 

先ず、素数が大きすぎずセンサー受光量にアドバンテージのあるフルサイズセンサーが使いたかったからです。

 

わかりやすく言えば、画素数とはザルの目のようなものです。

細かくなれば細かくなるほど繊細に篩に掛かられますが、水切れは悪くなる。目が粗い方が通りが良い訳です。

 

素数にも同じような事が言えます。センサーのサイズが同じであれば、画素数が細かければ細かい程、センサーの受ける受光量は物理的に減る…という事です。

 

スマホでも2000万画素を超えてる時代なので1625万画素と言われると質が悪いように思われがちですが、センサーサイズも違えば何もかもが違う物を、画素数という括りだけで比較するのは完璧な間違いです。

 

ちなみにこのページに掲載している画像は全て約10年落ちのAPS-C機であるNikon D7000で撮ったものです。(Df の本体画像を除く)

1枚目はTamronAPS-C専用の高倍率ズーム(通称便利ズーム)、2枚目は50mmの超格安中華単焦点。いずれもJPEG撮って出しです。

全ての被写体を、全てのシチュエーションで過不足なく撮れるわけではありませんが、10年落ちのAPS-Cだって、自然光の中ならかなりの描写力はあると思って使い続けてきました。

 

 

Nikon Df に対して画像処理エンジンの古さを指摘する人も居ますが、このセンサーとエンジンの組み合わせは当時のフラッグシップ D4と全く同じ物です。

当時Nikonのフラッグシップである D4の画質を悪いと言った人など皆無です。

それに、通常の使用サイズの画像であるなら、D4、 Df 、 D5、 D850でそれぞれ撮った写真を並べて、どの機種で撮ったか?を完璧に言い当てられる人など世の中には殆ど居ないと思っています。

 

最も私が気に入ってるのは、このフルサイズ1625万画素、EXPEED3という組み合わせで撮られた写真の階調が、緩やか且つ豊かでフィルムで撮られた画質に近いという事。

決して細か過ぎる事もなく、私には丁度良い塩梅に感じるのです。

 

つまり、Df というカメラは、少なくとも私の求める画質を十二分に備えているという事です。

 



その他のファクターで大きかったのは、カニカルな操作性とシャッターフィーリングです。

 

Df の操作性に関しては「ファインダーを覗きながら操作し辛い」という事をマイナス点として指摘している人も多く見られます。

 

私個人は、「写真はマシンガンのように手当たり次第バシャバシャと撮りまくるものではなく、狙撃手のスナイプと同じ感覚のもの」と考えています。

前に書いた記事にあるように、フィルム時代はとてもランニングコストの高い趣味でした。

つまりシャッターひと押しの価値が違ったというか、三脚を立てて、ファインダーを覗いて、構図を確かめて、塾考の末辞める…こんな事の方が多かったと思います。
カメラの設定はファインダーを覗く前に胸元でホールドしながら…みたいな感覚なので、ファインダーを覗きながら操作し辛いと思った事はありません。

確かに今は、SDカードにRAWで千枚記録出来る時代。昔の感覚を最近の方々に押し付けるつもりはありませんので不便と感じる人が居るのも理解していますが、私の中で操作性に対する不便さは全くありません。
寧ろ、ファインダーを覗かず、被写体を観察しながら、節度感のよいダイヤルをカチカチ回して設定している時が至福の時間でもあります。

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そしてシャッターフィールです。

 

一眼レフによる写真の撮影と言うのは、ドライブに例えると最上級のクラシックスポーツカーを駆っているのと同じ感覚です。
もっとアシストだらけで便利で速い車は沢山あるわけですし、移動だけなら安くて手軽な車もあります。
でも、運転をこよなく愛する人はステアリングフィーリング、シフトフィーリングなど操作する喜びの部分に多大な投資をしているのだと思います。

 

写真もアシストだらけで上手く撮ってくれるカメラが沢山ありますし、スナップならスマホで充分だったりします。

一眼レフに操作フィーリングを求めるのは当たり前の事だと私は考えています。

 

戦闘的なルックスに超高性能エンジンを搭載してるのに、ハンドルは遊びだらけ。シフトはフニャフニャでギアが小気味よく入らない…こんな車では興醒めです。

 

Nikon Df の最高の部分はやはりシャッターフィーリングとその音です。

今時、ケーブルレリーズが使えるメカニカルシャッターですからフィーリングが悪いはずがありません。

 

皆さんも、カメラ屋さんの店頭にデモ機が置いてあったら是非、弄ってみてださい

 

その軽さと、工作パーツの精度からくる操作フィーリングでDf の虜になる人が、少なからずいるのではないかと思います。

 

 

つづく