独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

実はカメラのためにレンズがあるわけではなく レンズがあるからカメラが出来たのです(初心者向け)

フル電子制御のデジタルから写真を始めた方は、勘違いしている人が大半だと思いますが、元々カメラというのはレンズを通って見える像を記録するための装置です。

 

以前はフィルム、今はフィルムの代わりにデジタルの撮像素子なりましたが、基本の仕組みは同じです。

記録の時点で補正がかかったりもあるので仕組みが全く同じとは言い切れませんし、フィルム時代では考えられなかった感度での撮影も可能になっていたりはしますが、カメラという道具は「レンズを透過して映し出された像が無ければ何も撮る事は出来ない」のです。

 

つまりこれはどういう事かと言うと、レンズの時点でほぼ解像度の大半が先ず決まってしまうという事。

 

どんなに最新の高級カメラであってもレンズが古くカビとクモリだらけなら、カビの写り込んだ暗く濁った写真にしかならないですし、エントリーユーザー向けのモデルでもマニュアルの単焦点レンズやF2.8通しの望遠レンズなんか使えば、吃驚するくらい綺麗な写真が撮れます。

 

センサーや画像処理エンジンの差は確かに大きいですが、レンズの差程ではありません。

 

 


レンズと一口に言っても、天文台にあるような直径がメートル級で誤差や歪みが殆ど無いモノからトイカメラのようなモノまで、その精度は差があります。


カメラの起源は諸説ありますが、現代のカメラのルーツは、コダックの創業者であるジョージ・イーストマン(1854〜1932)が1885年に紙フィルムを利用したカメラを考案(数年後にセルロイドに進化)したのが最初と考えて良いと思います。

 

かたや拡大鏡としてのレンズは、古代ギリシャ天文学者プトレマイオス(83年頃〜168年頃)の時代にはすでに知られていたとの文献もありますし、1200年代のヨーロッパでは、非常に高価ではあったものの凸レンズが拡大、老眼用として実用化されていました。


レンズの歴史の方が、カメラの歴史より遥かに長いのです。

 

現在、フルサイズと呼ばれている35mmフィルムと同じサイズのセンサーを用いた、国産のデジタル一眼レフカメラのハイエンドは70万円前後です。

かたやレンズはと言えば、完全なプロ専用レンズになりますが、フィルム時代から売られているNikonのAI Zoom-Nikkor 1200-1700mm f/5.6-8P IF-EDは自注生産で600万円ロスアンゼルス五輪に合わせて開発、発売されたキヤノンEF1200mm F5.6L USMは980万円

余談ですがライカAPO-Telyt-R 1600mmに至って35mm判レンズとしては世界最高額。なんと2億円もするそうです。

 

レンズは正に天井知らず。天文台に使われてるようなレンズが実際に幾らするのか、とても気になります。

 

レンズを揃えられないからとAPS-C機を使われている方々は、とてと賢明な判断だと思います。センサーサイズが大きくなれば、よりレンズの善し悪しが、明確に写真に落とし込まれてしまいます

 

APS-Cで素晴らしいシマエナガの写真を沢山ネットに載せている愛好家さんもいますし、マイクロフォーサーズの傾向性を利して、神レンズと呼ばれるレンズ一本だけで素晴らしい山岳縦走写真を撮られている方もいます。

 

写真の善し悪しは、カメラの価格やセンサーサイズによるモノではありません。フィルムやセンサーに像を送り込むレンズの性能の方が寧ろ比重が大きいと思います。

そして何より「絶対にモノにしてやろう」という被写体への情熱と執念が大切です。

 

 

いつかお遊びで、レンズの画質への比重がどれほどの大きさなのかを調べるために、Amazon等で12,999円で売られている、筒のような420-800mm f / 8.3-16マニュアルフォーカスレンズを現行ハイエンドのフルサイズセンサーの一眼レフに搭載して撮れる写真と、10年落ちのAPS-Cサンサーの一眼レフに高級望遠レンズを装着して撮れる写真の比較などが出来たら楽しいだろうな…などと考えています。