写真を始めたばかりの皆さんは、ベテラン写真愛好家の撮った写真を見て
「ガッチリとピントが合ってて凄いなぁ」
と、思ったりする事はありませんか?
自分もやってみようと何度試みても、そこまで追い込む事が出来ず
「あれはきっと、カメラもレンズも高価な物を使っていてピント精度が高いからで、そこまでの機材を持っていない自分には無理だろう」
みたいに、自分には無理なことと考えて、諦めてしまっている人もいるのではないか?と、思います。
確かに高価なレンズはピント精度も段違いだったりしますが、そこまで高級な機材を持っていなくても、デジタルカメラだからこそのガチピン術というものがあるので覚えてみて下さい。
用意するのは三脚とリモートでシャッターを押せる何らかの方法、それだけです。
手押しにならなければ、リモートコードでも、リモートレリーズでも、Wi-Fi経由でのスマートフォンのリモート撮影機能でもなんでも構いません。
風景や静物の三脚撮影の際は、余程暗い場合を除いてISOは100、レンズの手振れ補正はOFFにしておくのが画質の為に良いです。ISOを上げるのも、手振れ補正も「画質を犠牲にする振れ対策」であるので、三脚を使うなら必要ありません。
- 三脚を立てます。
- リモートでシャッターが押せるように準備をします。
- 一眼レフ機ならミラーアップ撮影に設定します。
- ファインダーを覗いて構図を作り、おおまかにAFでピントを合わせます。
- ライブビュー撮影に切り替えます。
- マルチセレクター等でピントを合わせたい箇所にフォーカスポイントを置き、AFでピントを合わせます。
- MFで動かせるように設定して、画像を拡大して、拡大された画像を見ながらMFで追い込んでいきます。この時、拡大しすぎると全体のバランスが見えにくく、かえって判断が難しくなるので注意して下さい。
- リモートでシャッターを押して撮影完了です。
三脚を運ぶ手間、三脚を据える手間、じっくりと追い込む手間、そういった「手間」を惜しまなければ、たとえ初心者であっても写真の描写は格段に向上します。
この記事用に、わざと激安中華単焦点で撮ってみました。1枚目のコーヒーセットはポットの蓋の淵にピン、2枚目のシャンパンのミニボトルは、ラベルの意匠の部分にピンしています。
三脚+NikonDf +YONGNUO YN50mm F1.8N+AR-3(ケーブルレリーズ)
生憎、私にはそこまでの技術は無いので、これ以上に凝った作例的なものは見せられませんが、プロフェッショナルのブツ撮りというのは、こういった緻密な作業に加え、バックドロップ(背景布)を背景に、フラッシュや照明、レフ板などのライティング技術を駆使して鑑賞に値する商品写真を撮るという、撮影技術の集大成でもあります。
ブツ撮りと言っても、刀剣や拳銃のような、ドラマティックな見た目の被写体ばかりではなく、洗剤や発泡スチロールのトレーみたいな商品撮影の事もあるのですから、とても難しく技術の必要な仕事です。
私は個人的に三脚使用制限のない場所であれば、常に三脚撮影を推奨しています。
前にも書いたように手持ちでマシンガンのようにあれもこれも撮ってしまっていると、写真は上達しないと思うのです。
写真はショット(shot)でありスナイプ(snipe)です。
狙撃手のように一撃必殺であるべきで、一撮入魂で被写体に向かう方が、圧倒的に構図の中の様々なモノが見えてくるものです。
手持ちで屈んだ不自然な体勢では、じっくりと絵作りなど出来る筈がありません。さっさとシャッターを押して、そこそこの撮れ高の記録が出来たら、直ぐに次の構図…。
プロでも三脚を立てて構図を熟慮するのに、ど素人がこんな適当で人の心を揺さぶるような写真など撮れる筈がないのです。
三脚を立ててファインダーを覗くと、手持ちで撮っている時より遥かに被写体以外の部分に注意が行き届くと感じています。ファインダー内に映り込んでくる不必要なモノに気づきやすくなるのです。
こういった構図の吟味、熟慮こそがファインダー越しの世界であって、バシャバシャと何百枚も撮りまくるのは、ただレンズの前に拡がる散漫な光景でしかありません。
絶景スポットや、映えるなどとお膳立てされた撮影スポットは、レンズの前に拡がる散漫な光景から散漫さが予め排除されているので、写真が上手くなったように錯覚してしまうだけで、追い込まれた入魂の一枚ではありません。
三脚+NikonDf +YONGNUO YN50mm F1.8N+AR-3(ケーブルレリーズ)
「部屋の中で、三脚を立ててテーブルに置いた瓶を撮る」でも写真の練習にはなるし、始めたばかりの人なら上達もします。
日々そのようにカメラと向き合っていれば、次第にライティングなどの事にも興味が湧き、試行錯誤の中でメキメキと腕は上がっていくのではないかと思うのです。
絶景スポットや、人を呼ぶために和傘やライトアップで「映え」を演出されたスポットに出向いて「行った記録」を撮りまくるだけの人は、いつまで経ってもカメラが撮らせてくれる似たり寄ったりの写真しか撮れないのではないかと、そのように感じています。