独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

コロナ禍に60-600mm があって良かった。

ゆるクラ△記事にも書きましたが、案の定という感じで感染者が増加し、ゴールデンウィークに併せて緊急事態宣言が再々発令されました。

そして、誰もが短過ぎると思っていた期間も延長。続々と宣言の範囲も拡がり、またお出かけしづらい日々が続いています。

 

そんな鬱屈する生活の中でつくづく思うのは、SIGMA 60-600mmが手元にあって良かったという事。これに尽きます。

超望遠レンズは外出自粛でも許される範囲である「適度な運動」程度の散歩においても写真を楽しむ事が出来る、最高の遊び道具となってくれています。

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下水道の整備とNOx制限の恩恵でしょうか?最近は少しの緑でもあれば、宅地として開発された街中でも珍しい鳥が居付くようになりました。

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そういえば、転勤族で都内を転々としていた筆者が、小学生の時に過ごしていたのが、武蔵野台地を流れ下り多摩川に合流する野川のすぐ脇でした。当時は生活排水が垂れ流しで猛烈な臭気を放ち、澱んだ場所では合成洗剤がブクブクと泡立っていた死の川でしたが、今は流域に翡翠の姿も確認されて、川遊びができるような川に生まれ変わっています。

 

600mmの恩恵は野鳥だけではありません。超望遠域が撮れるというのは、民地で濫りに入れないような場所の被写体も撮れる事を意味します。

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じっくりと接写を愉しむような撮り方はできませんが、撮りたいと思った被写体に直感的にシャッターが切れる感覚は、散歩には程よい感じです。

 

 

標準レンズで、ご近所のなんの変哲もないモノを撮る事も、写真としてはとても良い事です。そういった被写体を自らのモチーフにしている方も多いと思いますが、外出ができない状況下で、そのような撮影を余儀なくされているのは鬱屈してしまいます。

そんな中、肉眼で見た感じとは程遠い画角を切り取ることが出来る、超望遠レンズがあって良かったと心から思います。