個人的な感覚ですが、花の撮影というのは技術やセンスの差が出やすいと考えています。
撮れ高を確認しながら撮影できるデジタルカメラだと、風景写真の出来は技術的な差よりも、天候や日照などの自然現象がもたらすタイミングの差の方が大きくなってしまいました。
かつては足繁く通うプロだけがモノに出来た「瞬間」ですら、たまたま行った人がスマホでモノに出来てしまったり…時代は変わりました。
しかし、花の写真というのは庭先で撮ったモノでも巧い人は巧い。AIが勝手に判断して良い加減で撮ってくれるスマホやオート撮影の写真では太刀打ちできない領域で、技術やセンスの差が如実にでる被写体だと思います。
この時期だと鎌倉の明月院の鎌倉石の参道の写真なんかがSNSに溢れます。基本的に人気と言っても素人評価なので、どこにもピンが来ていない写真を現実離れしたパステル色にレタッチして、斜光まで後付けしてるような写真が大人気になってたりはしますが、同じような画角でも巧い人の写真はやはり巧いと感じます。
先日、所用で近くまで行く事があったので松戸市にある日蓮宗の本山、本土寺で紫陽花を詣でて参りました。
写真のための日ではないのでNikonDf とAF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VRのコレイチセットでの撮影です。画像はRAW現像無しのJPEG出しで掲載用に圧縮しております。
本土寺は日蓮の高弟・日朗によって開山された古刹で、往時には鎌倉の妙本寺、東京の池上本門寺と並び称された寺院。その境内はとても大きく美しいもので、日蓮直筆の史料なども所蔵されているようです。
最古の建物は1310年のもので、自然木の形をそのまま利用した素晴らしい建物が残されておりました。
さて、問題は花の撮影です。カメラ歴だけは長いのに花の撮影はまだ3年生になったばかりの筆者。花という被写体の底知れぬ難しさに直面しております。
景色として切り取ると、まぁまぁといったところですが花単体になると悩むところが多くなります。
咲いている中では、際立っている個体を撮っているはずなのに、なんだかパッとしません。かと言って安易にレタッチするのも不本意ですので悩みどころです。
そして、やはり悩んだ時は基本に立ち返るのが最善です。
私の敬愛して止まない、植物写真家の埴沙萠さん(故人)に倣う事にします。
埴沙萠さんは道端の雑草(ご本人は雑草などという植物はない!と仰いますが)を撮るにも、三脚、フラッシュ、レフ板、レリーズを駆使して撮影されておられました。
プロ中のプロでも、そのように機材を駆使して撮影する植物を、一介のアマチュアがコレイチセットで手持ちでモノに出来る程、甘い訳はありません。
幸い紫陽花の季節はまだ続きますし、少々の雨でもフォトジェニックに変わるのが紫陽花。『埴沙萠チャレンジ』と称して、しっかりと準備をしてリベンジの舞台を目指そうと思う次第です。
つづく