独眼流正宗

独眼レフ、ミラーレス独眼を操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

半径約1キロの圏内であれこれ撮ってみる

筆者は元々「非絶景主義」です。

勿論、絶景は好きですが、誰かが撮って評価された…今風の言い方をするとバズった場所で、答え合わせのような写真ばかり撮る人がいる事に閉口しています。

答え合わせは、実は柔らかい言い方。はっきり言えば、ただの猿真似です。SNSであっても、これが絵ならピカソやダリ、その他有名な絵を書き写して「自分の作品です」と堂々と掲載したりしないと思います。

 

この季節、例年は高幡不動に紫陽花を撮りに出向いてます。しかしあじさい寺に行かなきゃ、紫陽花が撮れないわけではありません。

背景に仏閣というチートが使えないだけですから、背景が無関係に撮れば良いだけです。

f:id:muramasachang:20230627064108j:imageNikonD500 × SIGMA 60-600mm F4.5-6.3 DG OS HSM

広角で撮らずに背景ボケが欲しいのであれば超望遠を使う。道具は便利に使い回せばよいだけです。

f:id:muramasachang:20230627064320j:imageNikonD500 × SIGMA 60-600mm F4.5-6.3 DG OS HSM

ガチャガチャした背景が気になるシチュエーションではコントラストを活かして撮る。これが意のままに出来るのが専用機の良いところです。スマートフォンの画質がどれだけ進化しても、口径の小さなレンズと小型センサーの画質の悪さを電子介入で誤魔化してる内は、逆立ちしてもカメラには敵わないのはこの点です。

f:id:muramasachang:20230627064653j:imageNikonD500 × SIGMA 60-600mm F4.5-6.3 DG OS HSM

歩道の脇や、上水沿の道端に咲いてるなんて事ない紫陽花も、工夫して撮る練習になります。思えばコロナ禍でここ数年「工夫して撮る」ような感じを余儀なくされていました。

不便さを逆手に取って、楽しむのも今の時代の楽しみ方かもしれません。