独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

初心者はInstagram等のSNSで交流すると写真が上手くならない

SNSで趣味で繋がる事が簡単になって、写真は孤独な趣味ではなくなりました

反面、独りコツコツと試行錯誤する時間が減ってしまい、初心者の方には弊害と思えるような事も多いようです。

 

こんな例があります。プロフィールに初心者と記載してInstagramを始めたばかりの方にフォローされた事があります。

写真が3点、旅行に行かれた時に撮ったと思われる著名な寺院の写真を載せられていて、これからのその方の活動に期待しながらいいねをしておきました。

恐らく広角レンズは持っていなかったのでしょう。少ない機材ながらも頑張って自分の撮りたいアングルから撮ろうとしている努力が写真から窺い知ることが出来る、良い写真でした。

その時点で、その方にはフォロワーは殆どいなく、私がその方の36番目のフォローでした。

 

次に気づいた時は、相互フォローなどでその方はフォローもフォロワーも700人程になっていました。

神社仏閣の写真ではなく、御朱印を上から写しただけの写真と、食べた物の記録的なテーブルフォトばかりになって、最初の3点のような写真は皆無。

ですが相互フォローの無条件いいねと、いいねを貰ったお礼のいいね返しで、どんな写真であっても300から400のいいねが付くようになっていました。

 

テーブルフォトは歴とした写真の表現のジャンルです。

そして、食べ物写真が悪い訳でもありませんが、三脚も使わず、ライティングも考えず、本当にただテーブルに並んだこれから食する物を、自分の目線から撮っただけの写真は表現でも何でもなく、個人の食べた物の記録です。

 

でも、最初の渾身の3枚にはあまり貰えなかったいいね大量に貰えるので、その方はすっかり勘違いしてしまったようで、今も延々と、その日食べた物の記録とたまに御朱印の写真が載るだけのアカウントになってしまいました。

最初は、工夫して撮りたいものを撮ろうとしていただけに、とても勿体ないと感じています。

 

 

同じような例は多々見受けられます。目にピンが来ていない野鳥写真や、羽が消えてしまってる飛んでいる昆虫写真。ピン甘や、意図していないであろう水平が狂っている写真といった、本来は人前に出せないような写真であったとしても、相互フォロワーが多いと大量の無条件いいねが貰えるので、初心者や未経験の方は、それが「良い写真」「自分の写真は評価が高い」と勘違いしてしまっているのだと思うのです。

 

 

私もInstagramはやっていますが、フォローされても必ずしもフォローバックはしませんし、現実離れした色彩の画像を載せてる人も絶対にフォローはしません。

そして、フォローしている方の画像でも良いと思わなければいいねもしません。

いいねを頂いたら、その方の投稿された写真を見て、本当に良いと思う写真にだけいいねをしています。

いいねのし合いで、どんどん写真が雑になっていて、かなり過去の写真にいいねをする事の方が多いです。

 

いいねの機能は、その写真に対する評価でなくてはならないと思っています。相互フォローやいいねをくれたお礼で押してはならない。

そうでなくては、相手のためにならないと思っています。

 

フォローしてくれないならフォロー辞める、みたいな人も多いので、私はフォロワー少ないです。

なので、私の投稿はせいぜい20〜50いいねくらいにしかなりませんが、たまたま私の投稿を見かけた方の、正当な良いという評価が反映されたいいねなので、自分の中で判断材料になります。

この写真は好きだったけど、17いいねにしかならなかった。こっちはそこまでお気に入りではなかったけど50いいねになった…といった具合に。

 

 

 

最近のSNSには、吟味した写真を載せるのではなく、載せてレスポンスを貰う事が日課になってしまっているような人が沢山います。

目立つためにはパース画のようになるまでレタッチが当たり前になってしまっている人も沢山います。

なんの権威もない販促ステマ的なミクロな賞の受賞を堂々と列記したりも、ひと昔前は考えられませんでした。

 

動画の再生回数や、閲覧回数、いいねのために犯罪行為まで犯す馬鹿が沢山いる時代なので、これも時代の流れかもしれません。

 

ただ、個人的には写真は試行錯誤して自己満足で完結出来る人の方が遥かに上手くなるのではないかと思うのです。

 

 

 

 

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Nikon Df+YONGNUO YN50mm F1.8N(RAW現像)

たまに、朝一番の人影も無いファーストフードでこんな写真を撮って遊ぶ事があります。三脚を立てて紙コップの淵に追い込んでます。

つまらない被写体でも、練習にはなるものです。練習であれば、それなりの発見や確認も出来、次への反省にもなります。

 

ピアノでいえばツェルニーの練習曲はただ機械的なだけで、退屈でつまらないといった風潮があります。

 

でも、ピアノを始めたばかりの人には、つまらなくても退屈でも、カニカルトレーニングをするとしないでは大違いだと思うのです。

 

音楽、写真に関わらず、何事においても基本が最も大切です。

 

悩んだ時、行き詰まった時に、立ち帰る場所であり、支えになるのが基本です。

 

初心者の時から、ミラーレスカメラが撮らせてくれる画像をSNSに投稿しまくり、モノを知らない人達から高評価されてしまうというのは、この基本を疎かにしてしまっているのです。

自動的に、良い感じに補正してくれるカメラで「行った者勝ち」的な絶景ばかり撮っていては、写真は上手くなりません。


何か足りない…自分の撮る画像にそんな不満が出てきたような方は基本からおさらいしてみるのも悪くないと思います。


カメラに撮らせて貰っていたような方は、初心者向けのハウツー本でトライ&エラーをやってみるだけで、知らなかった事が沢山でてくると思います。

それが、銀塩時代から写真をやっている人達は当たり前のように染みついている基本だったりします。