独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

忘却の彼方から数十年越しの参拝に。ふらっとあきる野市のお散歩写活②

前回の大悲願寺に味をしめて、数日後に武蔵五日市を再訪しました。長らく行きたかった寺院があるのです。

 

筆者は10代の頃からロードレーサー に乗っていました。元々、NHKのTour de Franceの試験放送から興味をを持ち、競輪学校を目指していた知り合いに付き合わされて山道を走ってる内にすっかり魅了されました。

まだ今のようなブームではなかった頃から、奥武蔵や五日市市から檜原村などは実業団などで自転車をやっていた人の練習に重宝されていたのですが、その時にこの寺院を地図で見つけました。等高線から、かなりの急坂の参道の先にある寺院だと思って当たりを付けていたのです。

 

f:id:muramasachang:20211210005619j:imageNikonDf + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

寺院の名は臨済宗建長寺派龍角山 廣徳寺

現在でこそ、大いちょうで有名な地域屈指の紅葉スポットですが、本来修行の為のお寺なので、まだネットの無い時代は地域の人や、話を伝え聞いた人しか訪れないような寺院だった筈です。

廣徳寺参道アタックをしようとしていた筆者に衝撃が走ります。廣徳寺に唯一繋がる舗装路の入り口が、昭和から平成に世の中が移るその時期、日本を震撼させた事件の舞台になりマスコミが大挙して押し寄せる事態になったのです。

その直後、住んでる場所の転居で五日市方面には自転車で出向かなくなったのもあり、30年以上、記憶の彼方に忘れ去られていました。

今回、武蔵増戸駅から横沢入、大悲願寺を経て武蔵五日市駅まで歩いた時に廣徳寺に行ってみたい欲が一気に昂まったのでした。

 

 

f:id:muramasachang:20211210013729j:imageNikonDf + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

30年越しの参道は、徒歩ながら思っていた通りのなかなかの勾配でした。そして上がった先に素晴らしい茅葺の総門が待っていました。

日差しの関係で敷地内から撮ったアングルですが、苔生した茅葺屋根がなんとも趣きがあります。

 

f:id:muramasachang:20211210015706j:imageNikonDf + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

山門も素晴らしいの一言です。

 

f:id:muramasachang:20211210022209j:imageNikonDf + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

秋の日差しに照らされた苔生した茅葺の屋根が、なんとも美しい緑色の光沢を帯びて、いくら眺めていても見飽きない美しさでした。

 

f:id:muramasachang:20211210015842j:imageNikonDf + Tokina AF 19-35mm F3.5-4.5

当日はかなりの強風で、地元の方曰く「大いちょうは一気に散ってしまった」との事でしたが綺麗な黄色い絨毯が広がっていました。


f:id:muramasachang:20211210020016j:imageNikonDf + Tokina AF 19-35mm F3.5-4.5

散る前には、このアングルから山門が見えない程、葉が生い茂るようです。


f:id:muramasachang:20211210015620j:imageNikonDf + Tokina AF 19-35mm F3.5-4.5

縦アングルからも一枚。この日は日差しがいちょうの葉を黄金色に照らして、どこを切り取っても絵になるような絶好の写真日和だったと思います。


f:id:muramasachang:20211210015748j:imageNikonDf + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

撮影の最中も、強い風が吹く度に葉が舞い散ります。一気に散ったタイミングで撮れていたら銀杏吹雪がモノに出来ていたかも…いやぁ残念です!


f:id:muramasachang:20211210015927j:imageNikonDf + AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR

本堂の裏手にはモリアオガエルの繁殖する池があり、その周りの木々は紅葉の見頃を迎えていました。

地元のガイドさんでしょうか?健脚の御老人達を引き連れて、数は多くありませんが参拝者が次から次へと山道を登ってきます。それでも平林寺のような混雑はなくこじんまりと落ち着いた印象です。

観光寺ではないので参拝料を取るわけではありません。瓦に葺き替えたり、銅板葺きにする寺社が多い中、お金がかかる茅葺きを維持しているのは、檀家さん達から手厚く護持されてるのが窺い知れます。

 

駅から歩いて3〜40分。コミュニティバスの本数も少なく、若干参拝しにくさはありますが行って損なし。そんな素晴らしい佇まいでした。