独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

新潟県の寂れてしまった町を往く。

3月末日、法事で新潟県三条市に滞在しました。祖父母の家があった、筆者にとってはいわゆる「田舎」で、夏休みなどには長期滞在した思い入れのある町です。

かつては狭いながらも活気のある商業の町でした。雁木のある通りにはデパートや個人商店が並び、3本立ての映画館や丸井今井の創業者、今井藤七氏の邸宅などがありました。(丸井今井邸は現在は市が公民館的に管理する超格安の有料スペースのようです)

人の往来もとても多く、都内在住とはいえ住宅街に住んでいた子供の頃の筆者の目には、とても栄えた繁華街に写りました。

 

商売で外からくる人も多く、人口に対する飲み屋さんの数の比率が全国1位だった町で、夜も活気に満ちていました。

バブルが弾けた頃からでしょうか?後継者問題や町全体の平均年齢が上がったせいか、少しずつ町が寂れていくのを肌で感じました。

かつて町中に3館もあり、3本立て500円(小人料金)で楽しめた映画館は軒並み閉鎖され、娯楽の少ない町になりました。

f:id:muramasachang:20240403214935j:image寺町でもあるので、御斎でも、接待でも利用できる料亭も多いのが特徴の町でした。

また、金物系の家内制手工業に近い企業も多く出前文化が栄えていました。三条市発祥と言われている背脂、太麺、玉ねぎの乗ったラーメンは「出前で冷めにくく伸びにくいラーメン」であり、身体を動かす労働者の胃袋を満たすガッツリ系を追求した結果なのでしょう。スタミナ系の系譜でカレーラーメンもかなり以前からあるメニューのひとつ。また、出前は食堂だけでなく町の萬屋的な商店も、電話一本でお届けしてくれる店が多数ありました。

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地方競馬である新潟競馬の三条競馬場跡は乗馬クラブやキャンプ場のある施設に。

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f:id:muramasachang:20240403222628j:image当時は近付けなかったので厩舎が当時のままか?は、わかりませんが、同じ位置に厩舎が残っていました。

三条競馬場のメインスタンドは場外馬券売り場として割と最近まで利用されてたと思いましたが、今回の来訪では老朽化で解体されていました。地方競馬にしてはかなり立派なメインスタンドがあり、駅の有人切符売り場のようなガラス窓の下にお金や馬券をやりとりする半円の小窓がある窓口がズラッと並んでいたのを覚えています。

 

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f:id:muramasachang:20240403223016j:image長年、町の医院として開業していたクリニックも案内看板が外されてました。大通りの角からT字路側に80メートル近い長さで建てられた立派な和洋折衷の建物ですので、取り壊しとかにならない事を切に願って止みません。

しかし、旧市街は寂れてしまいシャッター街となりましたが、北三条駅の北側の開発が進み、そちらの方は活気のある街になっています。

子供の頃に遊びに来た、思い入れのある町なので、このまま趣のある街並みを残しつつ、ものづくりの町として活気が戻ってくれればと思う次第です。

 

 

このページの全掲載写真は、NikonZ8+FTZⅡ+AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VRで撮影したものです。