私は決して、有名ブロガーになりたいわけではありません。
では何故、貴重な時間を使ってブログを書いているかと言えば、頭の中に漠然と存在する感覚を、文字や言葉に置き換える時に、初めて明確な思考や意思になるわけですから、自分にとってブログを書く事は自己反芻という意味でも大切なプロセスだったりします。
写真にしても、決して上手い写真愛好家ではありません。
銀塩時代は露出をミスる事も多く、その確率がもっと低く出来れば職業として写真の道に進めたのかもなぁ…というレベルです。
ただし、シャッターを押す時に拘りがあります。
写真は常に「そこに来れない者のために記録する」という意識があるのです。
インターネットの普及で、様々な情報が身近になりました。時間とお金さえあれば自由に移動出来る我々ですら、その情報の恩恵は計り知れません。これが、からだが不自由な方ならどうでしょう。
見てみたいと思っていた景色が尽く、リトグラフのような毒々しい色や、奥行き感が消えたイラストのようになるまでゴテゴテと加工されていたら、余計に実際に見てみたいという思いが募ってしまうのではないでしょうか?
Nikon Df + NIKKOR-S Auto 50mm F1.4
雨中のマニュアルフォーカスレンズでの撮影でパンフォーカスでバシャバシャ撮りまくった中の1枚です。傘を片手の手持ち撮影で、結構な雨で追い込みも甘く、手ブレもしていて本来なら人前に出すような写真ではありません。
Nikon Df + NIKKOR-S Auto 50mm F1.4 + Lightroom
無料版のLightroomで、SNSなどで頻繁に見かける画像のようにゴテゴテとレタッチしてみました。実際にはもっと強烈に加工されている画像も頻繁に見かけます。
確かに、ありふれた路地の写真が今まで見た事のない景色になります。
そしてピンボケもなんとなくレタッチの味のひとつ的にカバーされてしまいました。
こういう画像を発信する人達にとって、加工は目立たせるための手段なのだと思います。
この手の加工は誰が撮っても、同じような画質にする事が出来ます。大抵は、ただの繁華街や路地裏的な写真を撮る人が好む傾向が強いです。
SNSは、撮影の人気スポットなど、まるで定点撮影のように同じ画角の画像が並びます。
大した労力も要らずに、日常生活圏で簡単に撮れる写真なので、大勢の人が同じような構図で狙うのです。だからゴテゴテと加工して、自分の写真を目立たせよう、目立たせようとするのだと。
しかし、これが数年がかりで許可を申請して、やっと立ち入りと撮影が許可された被写体であるなら…こんな加工をするでしょうか?
山を何日も縦走しないと撮れないスポットに重たいカメラを持ち込むような、多大な労力を費やしてやっと撮れた絶景なら、こんな劣化加工をするでしょうか?
また、どう撮った写真であっても、同じようなトーンに統一できるので、手軽にマイアルバムを作品集的に纏める事ができるのも、この手の加工を好む人があとを絶たない一因でしょう。
それが「写し撮った統一感」ではなく、雑多なモノを加工して得られた「造られた統一感」だとしても。
ですが、結局はなんの努力もせずお手軽に求めることができる統一感など、なんの個性でもありません。実際に誰にでもやり方が解れば出来てしまうわけで、大量にこの手の加工をされた画像が出回っているわけですから。
はっきりと言えば、SNSで数千のいいねがついたとしても、それが「加工に頼った目新しさ」で未熟な技術力の誤魔化しであるならその先のプロ写真家の世界に橋がかかるような事はほぼありません。
誰でも労せず出来る事でプロになれるなら、美術系の大学で専攻したり、専門学校で写真を学ぶ必要はありません。
きちんと学んだとしても、職業カメラマンになれても独り立ちしたプロ写真家にはなかなか成れるものではないのです。
未熟な技術でも、多数の素人評価でセミプロまがいの人もいるので、その枠を狙えると考えていのかもしれませんが、そんなに運良く事が運ぶのは稀な例だと思います。
Nikon Df + NIKKOR-S Auto 50mm F1.4
Nikon Df + NIKKOR-S Auto 50mm F1.4
Nikon Df + NIKKOR-S Auto 50mm F1.4
Nikon Df + NIKKOR-S Auto 50mm F1.4
私がオールド系のガラスレンズに拘る一番の理由は、それらレンズの齎してくれる現代のレンズとは違う透明感です。
写真は趣味の世界なので、個人の好きなようにすれば良いと思う反面、どうして没個性な細密イラストのような画質に劣化させて愉しめるのだろう?と、不思議に思ってしまうのです。