独眼流正宗

独眼レフを操る 下手っぴ写真愛好家の場末の毒舌ブログです。「頭の中に漠然とある感覚や印象を、気分や感情に左右される事なく、言葉や文字に置き換える時に、それらは初めて明確な意思や思考になる。」そのための自己反芻のようなモノでもあるので、興味のない方はスルーして下さい。

ISOオートという便利な機能が、撮影者の技術低下を加速させている。

皆さんはISOオート機能を使われていますか?

 

失敗しない為の便利な機能ですが、筆者はこの機能をOFFにしています。そして写真を始めてからカメラ任せで撮られている方々にも、この機能を使わないで失敗する事をお薦めしています。

 

今のカメラは全自動に近く、様々な撮影のファクターから自分が優先的に設定したい、ひとつの数値以外は、カメラの方が適切な撮影環境を整えて撮ってくれます。

エントリー、中級機ならシーン撮影モードというフルオート機能が備わっているので撮影者は構図を決めてシャッターを押すだけという使い方も可能です。

写真趣味歴の浅い人の殆どはボケ優先で「絞り(値)優先モード」で撮影してるのではないでしょうか?

 

そして走る新幹線や航空ショーなどの動体撮影に興味を持つと、今度は「シャッター(速度)優先モード」で撮り始める。

 

 

オート撮影ばかりの上に、ISO感度までオートにしていたら本当にカメラが撮らせてくれただけの、個性のない写真にしかならないのです。

 

 

例えば薄暗い明け方に蓮を撮りに行ったとしましょう。

ISOをオートにせず、画質優先で100に設定していたりすると、こんな事が起こります。

 

絞り優先で背景ボケを狙ったら、シャッターが1.5秒も開いた…とか、群がっているミツバチの羽を撮ろうとシャッター優先で1/4000で撮ったら真っ黒な写真が撮れた…など。

 

 

どちらもISOオートにしてしまうと、前者は3200くらい、後者は10000オーバーまでカメラが感度を勝手に上げて、失敗しないよう過保護に撮らせてくれるでしょう。

 

この失敗しない事が上達の最大の妨げです。

 

 

 

最近の若い人に、特に多いのですが、なんでもかんでもネットを駆使して他力本願で情報を集め、失敗しないように物事を運ぼうとする人が居ます。

 

ちょっと調べただけで、失敗しないで出来る事なんて、はっきり言えば底が透けて見えるほど浅いモノだけです。

 

カメラも同じです。カメラ任せで失敗しないからカメラが撮らせてくれるだけの無個性な写真しか撮れない。被写体もネットで見かける有名スポット。

そんなだから変な色味や質感にゴテゴテとレタッチして自分の写真を目立たせようとするのです。

 

何故、失敗したのか?を考え、それを踏まえた上で反復をしなくては、物事の上達などあり得ないのです。

 

 

例えば1/6000のシャッター速度のためにISOをすこし上げながら何度もトライ&エラーを繰り返す。こうやって最適な感度を見つける撮り方をするだけでも技術的な上積みに違いはあります。

少なくとも、カメラが選んだ適切なセッティングでなく、自分好みの画面作りをする一歩にはなる筈です。

 

 

昔のフィルムカメラは、当たり前ですが入れたフィルムの感度でしか撮影も出来ませんし、フィルムの感度も400が一般的。勿論、現像に出すまでどのような写真が撮れたか確認も出来ませんでした。

 

それと同じ条件で撮ってみれば、写真撮影とは如何に技術鍛錬と経験値が必要な世界であったか理解できると思います。

ISOは400に固定して、マニュアルモードで撮影後のプレビューを一切せずに24枚撮ってみれば、本当の意味であなたが有する技術が判断出来る筈です。

 

 

 

#ファインダー越しの私の世界

というタグが嫌いな話を前に書きましたが、大半の人の写真は

#ファインダーを覗いてシャッターを押しただけの写真

だったりします。

 

ピアノで言えば、初めてピアノを弾いた日からショパンエチュードが弾けてしまってるようなもの。

 

苦労もせずに手に入れたポジションなので、SNSでなどで目立とう、目立とうとばかりするのでしょう。

撮影趣味ではなく、SNSなどで自己顕示欲、自己承認欲求を満たす道具としてカメラを使っているような感じを受けます。

 

 

本当に苦心してモノにした写真だしたら、あんな変な画質と色にレタッチなんて、そうそう出来ないと思うのです。

 

 

 

 

おまけ

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三脚を立ててマニュアルモードでじっくりと追い込み、色味、質感とも実物とあまり差がなく撮れた蓮です。

こんな時はRAW現像もせずJPEG撮って出しで何も弄りたくない。これが撮る者の偽らざる気持ちなのではないか?筆者はそのように思うのです。